追記

台風一過、久しぶりにエアコン無しで眠った。
疲れていたせいか、夜中に目が覚めることなく
気持ちの良い風がうれしかった。

病院に清算に行く。
釈然としない点もあったけれど、
今後の教訓として。

体はとても疲れていたけれど、
ヨガは休まずに出かけた。こういう時こそ自分の内面を見つめて。


昨日母のような女にはなりたくない・・と書いて、
今日一日ずっと後ろめたい気持ちでいっぱいだった。
一度も思った事はない・・と言うのは違っていたと思う。
少なくとも私が結婚する前までは、
理想的な女性像として見ていたと思う。

母の名誉のため、少し書いておきたい。

母は誰からも好かれる、優しい人だ。
美人ではないけれど、品があって女らしい。
そう、とても女らしい人だ。

以前父母を引っ越しさせた時、
私は、自分をなんとも男前な段取りの良さ・・と思った。
私の理想は男前な女。

母はただただ女らしい。
趣味も家事も、何でもつつがなくでき、
妻として、母として、理想的な女性だったと思う。
周りの男性は、皆母のファンになる。
父の弟たち、父の友達、皆母を褒めたたえる。
叔父など、叔母(母の妹)を目の前にして、
本当は母と結婚したかったと言った。(なんて失礼な!叔母が可哀そう!)

私の学生時代の恩師は、同窓会で必ずお母さんは元気?と聞く。
お母さんの事はよく覚えているなあ・・と。

私は母の30歳の時の子供なので、
同級生のお母さんたちよりもかなり年上だったけれど、
いつも若々しく、身ぎれいな母が自慢だったかもしれない。

そして私の青春時代。
正直親の事などあまり考えていなかった。
自分の事で頭が一杯。
稼業がしぼみ、家を売ったりした時も、
親の苦労よりも、自分が幸せになる事を優先していたように思う。
だから今息子たちが家の経済を思いやらなくても、それで普通だと解る。
また親も子供には心配させないようにするものだ。

ただ、親の暮らしを思いやらなかったけれど、甘えもしなかった。
夫の仕事で大変だった時も、
経済的にも、精神的にも、決して甘える事はしなかった。
心配性の母には、ほとんど実情を話さなかった。
今でも我が家の諸々の事で、母が知っている事は少ないと思う。

もし私が母に頼ったとして、母はどうするだろう。
今と同じ、ただオロオロと心配し、
取り越し苦労をしまくり、悪い事しか想像しない。
ドンと胸を叩いて、しっかりしなさい、私に任せなさい!
などと言うわけがない。だから言わない。
心配しすぎる母をなだめるのに労力を使いたくなかった。

私が何をするにしても、後ろから服の裾を引っ張った。
思い切りやってきなさいと、背中を押された事は一度もない。
危なくない?大丈夫?そればかり。

母には友達がいない。
慕ってくれる人は大勢いたのに、心底心を開く人がない。開かない。
夫の愚痴、偉そうに言う娘の愚痴を聞いてくれる友達が一人でもいたら、
今の母の心はもっと救われていただろうに。

年老いて、いろんな事を忘れ
でも昔の栄光を忘れられず、プライド高く誇り高く、
自分を尊重してくれる人としか接さない。

自分たちの世話をなんなくこなし、
ヨガに出かけ、友達と会い、
男前に動く私を見て、
あんたは私の子とは思えないわ。。と言う母。
私の周りにはこんな人は一杯いて、
もっとすごい人だって一杯いるんだよ。

世間知らずに87歳まで来てしまった母。
舅姑も早くに亡くなり、
息子の嫁に気を使うこともなく
そして何より、64歳の時に娘を亡くして
悲劇のヒロインになってしまったのかもしれない。
父だって私だって悲しかったのに。

そんな歳の取り方をしたくない。
オンナだけが残ってしまったような人にはなりたくない。

と言うのが言いたかった事。

どちらが良いとか悪いとかではない。
いつまでもかわいらしい女であるのは素敵だと思う。
幸か不幸か、娘の私はそれを良しとはしない性格だったということ。

夫に言わせると、
どっちもどっち、引かない性格やからな、、

やっぱり、妹か叔母が生きていたらね。
もうあと一人で良いから、母の性格を熟知している人がいれば
母も私もどんなに救われるか知れない。

父の事も、書けば母を上回るほどあるけれど、
今の父はすっかりおとなしく無口になり、私と反発する事なんてない。
頑固でもない。身の回りの世話が必要なだけだ。

あ~~書きすぎたかもしれない。
恥かもしれない。

ま、いいか。
[PR]
by ekosblog | 2011-09-07 00:31 | 家族 | Comments(0)

日々のひとりごと        


by ekosblog
プロフィールを見る